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tool+12

先日このブログで、今後「ネットの情報」がどんどん重要視されるようになるため、
「まとめサイト」の意義が高まっていく事や、
「tool+」ブロガーの役割もどんどん重要になっていく事を書きました。

※先日の記事↓
今年2017年は【ネット=現実/リアル】の元年?
「tool+」ブロガーの役割も重要な時代に・・

それとちょっと似たような事例ですが、
「さすが!これぞネットの力!」と称賛されるニュースがありましたのでご紹介☆
今月の頭、あるTwitterユーザーが、正体不明の巨大観音像の古い写真とともに、
その正体を問う質問をTwitterに投稿しました。
そこから繰り広げられる、ネット民による壮大な推理解読情報合戦・・・
(※ニュース記事の転用は後ほどします)

正直感動しました
顔も名前も知らないネット上の人々がネット上で集い、
一枚の古い写真をめぐって推理や解読を行っていく姿・・
様々な「知」が入り混じりり、徐々に核心に迫っていく様子・・
それはどこか、「まとめサイト」のネットの声や推理と重なるところがありました。

・・いや~、やっぱりネットって凄い。そして面白い。そして無限の可能性がある。。
今後ますます、“ネット上の情報”が重要視されるようになり、
それをまとめる「tool+」ユーザーの使命も高まっていくと思います。

◆ニュース記事はこちら↓

Twitterユーザーの呼びかけで正体判明!
謎の巨大観音像写真から始まった歴史ミステリーに
「鳥肌立った」「集合知の勝利」

引用:Yahooニュース 2017.12/8 8:00配信
 ▼▼
たった一枚の写真から、謎に包まれていた巨大観音の正体が判明ー。
Twitter上で繰り広げられた、奇跡のような歴史ミステリーの解読劇に、
「鳥肌立った」「集合知の勝利」といった声が寄せられています。

発端となったのは、サイト「コンクリート像を見にゆきます(仮)」の管理人・つるまさんが 12月1日にTwitterに投稿した1枚の写真。そこには1体の巨大な観音像と、その周りに集まった大勢の人々が写っていました。「この観音像が撮影された場所、年代を探しています。これだけ巨大な観音像なのに、日本のどこにあった(ある)ものなのか、全然全く不明なのです」とつるまさんは呼びかけました。

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※Yahooニュースより引用

 つるまさんによると、この写真は近畿のとある寺で見つけたとの事。しかしこれだけ巨大な観音像であるにもかかわらず、写真が撮影された場所も、年代も一切が不明。ツイートはたちまち拡散され、ここからTwitterユーザーによる壮大な推理合戦がスタートします。

 ある人は観音像の作風から「この仏師の作風に似ている」と指摘。またある人は写真に写っていたお坊さんの袈裟(けさ)の形から「昭和初期の禅寺では」と推測します。リプライ欄にはさまざまな分野から“考察班”が集いはじめ、「これだけ大きな仏像なのに写っている僧侶が少なすぎる」「日本ではなく満州や台湾など海外なのでは?」「右手に鉾を持っているから海洋信仰がある土地ではないか」など、次々と情報が寄せられます。中にはAIにより白黒写真に色をつけてみる人、写っている被写体のサイズから観音像の高さを推測する人も。これが集合知か・・・!

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観音像としては珍しい三叉戟(画像提供:つるまさん)

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 しかし、どの情報も決定打にはならず、引き続きつるまさんは情報提供を呼びかけます。そんな中、事態が動いたのは12月5日。signa19.jpさんが、”福崎日精”という仏師と、埼玉・秩父にある大淵寺(大渕寺)護国観音との類似を指摘した事でした。これがつるまさんに、ある”ひらめき”を与えます。

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 つるまさんがひもといたのは、国立国会図書館デジタルコレクションにも納められている「観音の霊験」という文献。この中に「福崎日精の師匠らしき人物が、大淵寺の護国観音を作る前に九州青ヶ島に滞在していた」という記述があったのを思い出したためです。

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「志佐鳳州」と書かれているのが福崎日精の師匠にあたる人物
(画像:
国立国会図書館デジタルコレクション「観音の霊験」174~175ページより

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確かに「九州青ヶ島にて」との記述が
(画像:
国立国会図書館デジタルコレクション「観音の霊験」174~175ページより

 さらに調べてみると、長崎県の青島に「子安観音」という観音像があることも判明。「青島」「子安観音」「福崎日精」―写真から得られた手掛かりと、これまでに寄せられた情報が、この3つのキーワードを中心にパズルのようにピタリとはまっていきます。さらに「青島出身の者です」という人物まで現れ、つるまさんの推理を裏付ける形に。こ、これだああああ!

 そして最初の投稿から1週間後の12月6日。つるまさんは”謎の観音像”について分かったことをあらためてtwitterで報告しました。青島の地域おこしプロジェクト「青島〇」に直接問い合わせた結果、担当者から「ほぼ間違いなく青島の子安観音」との回答があったそうです。

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青島○から送られてきたという画像。写真の観音像と同じ顔!
(画像提供:
青島○

 「青島〇」の担当者によれば、つるまさんの予想通り、この観音像は昭和9年(1934年)に福崎日精の師・志佐鳳州によって建立されたとのこと。大戦前という時勢柄、佐世保軍港の裏門である伊万里湾を守護する意味を込め、片手に子供、片手に槍(鉾)を持つ姿となり、「護国観世音」と命名されました。しかし残念ながら昭和60年(1985年)の台風で破損、撤去され、その後現在の「子安観音」へと建て替えられたとのこと。担当者が写真を印刷して島民に見せると、写っていた人を指して「これ、たぶん爺ちゃんだわ」と言った人もいたそうです。

 「青島からの情報をもらった時はさすがに感動しました。判明のツイートは実は涙ながらでした」とつるまさん。

 詳細を聞くと、写真を見つけたのは滋賀県長浜市にある平安山良畴寺とのこと。もともと戦前のコンクリート大仏に興味があり、やはり福崎日精が建てた「長浜びわこ大仏」の謎を追っていく中で、住職に見せてもらったアルバムの中に1枚だけ、この写真が挟まっていたといいます。また大淵寺の護国観音と聞いてすぐにピンと来たのは、よく見ていた「珍寺大道場」というサイトに福崎日精と大淵寺の観音像についての記述があり、最初から何か関係があるのではとにらんでいたからだそうです。

 あた、青島〇の担当者にも話を聞くと、つるまさんから問い合わせと受けた時には、まず「ネットの力」に驚かされたといいます。青島は現在、深刻な過疎化のさなかにあり、写真が撮影された当時は1000人以上いた島民が、現在はわずか213人に。そんな中、つるまさんの写真を見た島民たちは本当にうれしそうで、青島や観音像が島民にとって本当に大切な存在だったことをあらためて実感したそうです。

 るつまさんの努力とtwitterの集合知が結び付き、こうして謎の巨大観音像の正体は解明されました。twitterではつるまさんや、解明に協力した”考察班”たちに対し「お見事な解明でした!」「ネットの素晴らしさをまた感じました」など、惜しみない称賛が寄せられていました。

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長崎県の北東部に位置する青島(Googleマップより)

・・・・転載ココまで・・・・

再度ニュースを読んで、また感動してしまいました。
さっきも書きましたが、ネット上では顔も名前も知らない人々が集い意見を交換できます。
それは2ちゃんねるのような掲示板はもちろん、SNSやTwitterも同じ。
いわば、今ではあまりに当たり前になっている事ですが、
正直、本当はスゴイ事だと思います。

ニュース記事でも書かれていますが、
ネット上にいる人々の「知」を結集する事だってできるわけです。

そして、そのネット上の「声」(知)を瞬時に集め、
一つの「まとめ記事」を作れるのが「tool+」。。
言わば『ネット上の「知」をまとめる役割』です。

自分自身、毎日あまりにも当然の事のようにネット上を徘徊し、
そして「tool+」で情報をまとめて発信していますが、
あらためて、そのような仕事をできている事に誇りを持ちます^^

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